4月になりました。
あれほどあった雪山が嘘のように片付けられて、車の運転も快適そのものになりました。日差しも暖かくなり、ウキウキした気持ちで散歩や外出を楽しんでおられている方も多いのではないでしょうか。
今年は流氷を見る機会が2度ありました。最初は厳冬真っ只中の2月で、海岸は水平線までびっしりと流氷で埋め尽くされていました。砂浜に打ち上げられた流氷に乗りながら流氷ウォークを楽しみました。途中、遠くにスルスルと動く影があり、よく見るとアザラシのようでした。とっさにカメラを取り出しましたが、野生動物の動きについてゆけず、残念ながら撮影することは叶いませんでした。流氷が水平線までつながっていると、あたかもただの雪原のように見えて、なんだかつまらないようにも感じました。そこで2回目は3月末に行って、大海原に浮かぶバラバラになった、これぞ流氷!という様を狙いに行きました。ところが、海岸に降り立つと、既にその姿はほとんどなくなり、海岸線にわずかに残っているのみでした。呆然と、残っていた流氷を眺めていると、流氷から融けた雫が砂浜に無数の小さなクレーターを作っているのに気がつきました。なんとも不思議な光景で、落ちゆく雫を見ながら、はるかアムール川から来た氷が、こうして知床の砂浜に雫となってオホーツクの海に恵みをもたらすのだな、と大いなる自然のダイナミズムを感じていました。大自然は、国境もなく、利害や策略もなく、生きとし生けるもの全てに等しく恵みをもたらしてくれています。ところが、地球にはその恵みを巡って、21世紀になってもまだ争い続ける存在がいるのです。
こういった話があります。ある人が2つの部屋の前に案内され、好きな方を選んで良いと言われました。入り口にそれぞれ「天国」そして「地獄」と書かれています。天国の部屋には粗末な食事を囲んでいる人たちがいて、地獄の部屋には食べきれないほどのご馳走で埋め尽くされた食卓を囲んでいる人たちがいました。迷わずご馳走のある部屋に入ろうとしましたが、ほどなくそのご馳走を巡って見るに堪えない争いが始まりました。その人は仕方なく、わずかな食事しかない部屋も覗いて見ることにしました。すると人々は、少ない粗末な料理を分けあいながら、仲睦まじく笑顔で食卓を囲んでいたのです。
さて、私たちはどちらの部屋に住んでいるのでしょうか?そして、これから私たちはどちらの部屋に住みたいのでしょうか?ウクライナで起きていることは悲劇に他なりませんが、避難民を受け入れている周辺国の人たちの献身的な姿が、道標のような気がしています。
4月に医療制度改定があり、マイナンバーカードを使ったオンライン資格確認や、オンライン診療などに係る変更がありました。IT化が遅れていると言われる日本ですが、政府は何故か医療に関しては積極的のようです。ご不明な点がありましたらお気軽にスタッフまでお問い合わせ下さい。
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